あなたが「道徳を守らなくてはいけない」と思うのは、あなたが「道徳を守らなくてはいけない」とです。どこまで自分を苦しめるつもりですか?

人間の行動は全てが自分自身のためである

別の記事で、好き嫌いで判断することに開き直れという話をしました。他人に迷惑をかけることに開き直れという話もしました。

そこだけを切り取ってしまうと何やら過激に聞こえてしまうかもしれませんが、大袈裟に考えることはありません。

世のため、人のため、みたいな言葉を耳にすることはありますが、人間の行動は他人のためになることはあっても、全て自分のためでしかないのです。

なぜなら、誰しもが、したくないことは、それをしないことで自分が困らないのであれば、しないからです。 つまり、するということは、したいからか、あるいは、しなければ自分が困るからです。

例えばゴミ拾いのボランティアを考えてみましょう。

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ゴミ拾いのボランティアとかマジかったりぃ~

身体を動かしたいわけでもないし、暇を持て余してるわけでもないし、充実感は他のことで満たせているし、孤独で寂しいとかでもないし、好きな子が参加してるから会いに行きたいとかでもないし、友達にしつこく誘われてダルいとかでもないし、就職試験とかでアピール材料に使う目的もないし、地球環境とかどうでもいいし、他人のために役立ちたいわけでもないし、ボランティアに参加しないことが自分の道徳観に反して罪悪感に苛まれるとかでもないし・・・とにかく、行きたい理由がマジで1つもないし、行かなきゃ困る理由もマジで1つもない。

・・・よし、行くか!!

こんな人は絶対に存在しないと証拠もなしに断言してやります。行くからには、たとえわずかながらにでも何かしら 「したい」「しなければ困る」があるはずです。

勉強や労働だってそうでしょう? 僕は子供の頃、母親から「働く人は偉い」みたいなことをずっと聞かされてきましたが、その当時から「働かなくて乞食になるのが嫌だから、働くことを選んでるだけじゃん」と秘かに思っていました。しかも、母親はいっつも宝くじを買っていましたし(別に矛盾はしていませんが、釈然としませんでした)。

動機による「したい」の場合は特にそうですが、そこに至るまでの間に外部からの影響がまるで無かったとは言いませんし、これは何もその人自身がその行動の全責任を負うべきだという意味合いで話しているわけではありません。

何が言いたいのかというと、人間は結局のところ自分自身のために行動するわけだから、他人に対してそうそう過激なマネできないと言っているのです。

なぜなら、自分の行動によって自分自身に返ってくる結果があるわけですから。そして、僕たちはその内容を大まかには予測することができるわけですから。

大袈裟に考えなくてもいいのです。ほとんどの人たちは他人に対してそれなりの気遣いをするようになるかと思います。別に、そうあるべきだとか言うつもりはないですけどね。